大学の誕生から研究としての大学再生までの歴史

概要

本記事は、「高等教育の大衆化は可能か」という自らの問いに答えを出すべく、大学の歴史について調べてたちょっとしたまとめです。

30冊ほど、読んで約2000文字程度にしかなりませんでしたが、大まかな流れがわかる内容になっているのではないかと思います。

まだまだ、大学史については日本における大学史とMoocなどがありますが一旦のアウトプットです。

本題

中世における大学の誕生からフンボルトによって再定義されたドイツのベルリン大学まで述べる.

大学が誕生するに至った中世ヨーロッパの時代背景について記述する.その時代は,三圃制の普及や犂など農業技術の進歩した.これらの技術発展に伴い,特権階級を養うだけの余剰生産物が生まれたのである。また、余剰生産物の交易を行うため都市間で交流が盛んになったことで、聖職者階級の読み書き能力の独占が打破されていく。このことによって、精神労働が職業として評価されることになる。最後に、十字軍の遠征によるアラビアとの接触により、アリストテレスを代表とする失われた数多くの書物が翻訳されたことだ。翻訳活動によって、知識の絶対量が大きく増大のだ。

これらを背景として、権威からの認可を大学誕生条件とするのであれば1158年、世界最古の大学、神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世の「特許状」によってボローニャ大学が誕生した。これに続くように,パリ大学でも1231年、「諸学の父」によって教皇から特権が保証された。これらの大学は、後に設立される諸大学の模範となった。例えば、オックスフォードはパリ大学を模倣した。両大学の違いは、ボローニャ大学が同郷同士で結成されたナチオから派生した学生団体が主体であったのに対し、パリ大学ではカレッジと呼ばれる教師団体が主体であった点だ。しかしながら、両大学は、皇帝や教皇という権力からではなく、内発的な活動によって大学が設立したことは共通である。

次に、中世大学の特徴とは何であろうか。それは、特定の建物を持たないことによって移動の自由があった点である。これを脅しの材料として、大学側は特権が与えられた後も、様々な権利を求めた。権力者側は、大学からの利益が無視出来ないことから譲歩した。このことから、大学に権力に対する強い抵抗力があったことがわかる。また、移動により知識流動性が向上した。

しかしながら、大学は14世紀から衰退の一途をたどっていく。第一の原因は,初期の大学が学生や教師の内発的動機により発足したのに対して,君主や都市といった政治権力との関わりが強まったことにある.「大学の歴史」によると1500年は約60と1376年と比べ倍以上に増加している.第二の原因は,グーテンベルクによる活版印刷技術の発明である.この発明により庶民の間にも書籍が浸透し最早大学は知的好奇心を満たす唯一無二の場所ではなくなったのである。

最後に、1810年のベルリン大学の設立以降、大学の役割が教育のみならず研究機関としての役割を帯び始めた。「研究と教育」として大学を形成したベルリン大学がヴィルヘルム・フォン・フンボルト指導の元、設立された。まず、ベルリン大学が設立された経緯を述べる。イエナの戦いにて敗戦国となったプロイセン(ドイツ)は、ナポレオンとティルジット条約を締結した。プロイセンはフランスに追いつくべく、封建的な体制を改める内政改革が焦眉の急であった。教育においても例外ではなく、フンボルトが改革の指導者として抜擢された。

教育と研究は水と油と思われるかもしれないが、フンボルトが提唱した大学の理念は、教育を研究活動に求めた。フンボルトの大学理念は二つの観念に帰着する。第一は、学問という概念の再認識である。学問は、教師から享受するものではなく己の内発的な活動のよって産出されるものとなった。このことは、教授と学生との双方向の関係性を強めた。第二の理念は、学問の統一である。学問の統一とは、学問がひとつの有機体だということだ。各学問分野がそれぞれ自立しているのではなく、弱い結びつきによって成立しているということである。文明の成り立ちを例にとると、歴史学のみならず、なぜそこに川が流れていたかという地理学や生物の生態といった生物学の知識が必要となるだろう。そういう意味で、大学とは総合大学のように異なる学問領域が刺激し合う空間である必要がある。以上の理念からなる、研究による人間の陶冶がフンボルトの目指した大学の構想であった。

本節は、大学の誕生から近世大学の典型となったベルリン大学までの歴史について述べた。 学生と教師の組合から始まった大学という組織は、次第に政治権力に利用されることによって腐敗していった。大学の衰退は、国民国家形成機関として大学を定義するベルリン大学によって立ち直る。このことは、大学がごく少数のエリート層育成機関ではなく、国民を陶冶するという困難な課題へ立ち向かう道を歩む始めたことを示唆するのである。