インドに行っても人生観は変わらなかった

台湾旅行の一週間後にインドに向かった。

https://imaharu-blog.hatenadiary.jp/entry/2024/11/11/191732

インドを選んだ理由は、仕事していると旅行しにくい国だからだ。

帰国後の体調不良リスクが高いため、無職期間に行くのがいいと考えた。

旅行プランは難航した。

  • ガンジス川に入って体調不良になる
  • 電車乗車率250%の超満員列車に乗る

2つやりたいことはあった。

それ以外にインドでやりたいことはなかったので「mond」というQ&Aサービスに問いを投げた。

https://mond.how/ja/topics/dnwhpmiv8l787fe/zgkqjzz1ev8a7j7

インドからスリランカに足を延ばすという案をもらった。

スリランカビザ取得には帰国チケットが必要である。インドからスリランカを経由して日本に帰国するプランは調べることが多くて、正直めんどくさいなと思ったのでインドのみを旅行することにした。

また、joinmytripという日本人が誰も使ってなさそうなサービスをチェックした。

https://www.joinmytrip.com/en/

旅行業者ツアーと比較してコアなツアーが多いのでバックパッカーにもオススメのサービスだと思う。

南インドには素敵な一週間の旅行プランがあった。ガンジス川に入ることを考えると北インドに1週間は滞在したい。当時、インド国内を飛行機で移動するのはダサいという考えを持つめんどくさい奴だったのでツアー時間に間に合わないため断念した。

ガンジス川の沐浴で有名な街バラナシは、北インドの中央付近にある。ニューデリーからバラナシに向かった後にやることがなかった。地球の歩き方でインド地図を眺めていると北東にダージリンという聞いた言葉があることに気づいた。そう、紅茶のダージリンです。インドの疲れを紅茶飲んで癒して帰国しようと旅先に加えた。

結果として、以下のようなルートに決定した。

デリー → アグラ → バラナシ → ダージリン → コルカタ → デリー

旅行日程は、10/22 - 11/06 の2週間だ。

やたら父親の名前とパキスタンのことを聞かれるビザ申請を完了し旅の準備が整った。

前回の反省を活かしインドでは十分すぎる13万をリュックに分散して詰め込み家を出た。

デリー

9時間のフライトが終わった。フライト終盤は日本旅行を楽しんだという隣のインド女性と仲良くなった。彼女からデリーのオススメ店を教えてもらった。時間がなくて訪れてないんだけどね。

空港から電車に向かう途中でぼったくりタクシードライバー等に声をかけられる。

インドに来たという実感が湧いてきた。

ニューデリー駅近くにある日本人宿に向かった。

https://indiasantana.net/delhi/

空港からニューデリーは60Rs。500Rsを渡すと340Rsと100Rs足りない。

指摘すると100Rs返ってきた。お釣りは毎回確認する必要があると強く思った。

ニューデリー駅から宿に向かう途中にインド旅行一番のハプリングが発生した。

左足と左腕がしょんべんまみれになったのだ。Welcome to India すぎるイベントだ。

インドの名誉のために言っておくと完全に僕が悪い。公衆トイレから流れ出したしょんべん溜まりに足を滑らせて突っ込んでしまったのだ。

周りのインド人からの兄ちゃんやっちまったな!という視線に、やれやれだぜという笑顔を返した。会話はなかったが、僕たちはコミュニケーションができていた。

濡れていた左足と左腕は徐々に乾き始めた。小学生の通学路で通っていた牛舎小屋の臭いがした。人間も牛も変わらないんだなと思った。

インドでの最高の思い出が作れたぜ!と思いながらデリーで一番臭い男は宿に着いた。

シャワーを浴びると冷静になり病気になるのでは?という考えが頭をよぎった。すぐに、明日体調不良でなければインド旅は健康に過ごせるな〜というポジティブな思考になった。

しょんべんまみれの衣服を丁寧に洗った。しょんべんの臭いは、一回の洗濯では取れないという知見を得て一日が終わった。

翌日。絶好調。インド旅の幸先よし。

早起きしてチャイを飲んだ後に宿に戻っていると知らないインド人に話しかけられた。

散歩して寺院に向かってるらしい。暇ならついて来るかい?と言われた。

当然、怪しいのだが騙されるのも一興だなと思ってついていくことにした。途中、チャイを奢ってもらった。寺院が思ったより遠かったのでオートリキシャを使った。寺院を一通り回った後に旅行会社に連れていかれた。止まるべき駅など必要情報を得た後に、契約せずに店を出た。今、考えると正規店なのかなと思う。

チャイを奢ってくれたので、オートリキシャ料金を払ってくれるかなと思ったがそんなことはなかった。当然、料金をふっかけてくるので800Rsを200Rsで交渉した。20分ぐらい乗っていたので、150Rsぐらいが妥当だと思うが少しぐらいは高く払ってもいいだろう。

今日一日一緒に観光するかと言われたが、タージマハルがあるアグラのチケットを確保する必要があるので断った。正直言うと英語で話しながら観光するの疲れるので、それっぽい言い訳をした。

当時は騙されたと思っていたが、ただの親切な人な気がしてる。真相がわからないのがインドの面白いところだ。

宿で朝食を食べた後に、ニューデリ駅に向かった。手荷物検査をしている駅員っぽい人にアグラ行きのチケット売り場を聞くとないと言われた。また、旅行会社に連れていかれた。

「INDIA TRAVEL INFORMATION & RESERVATIONS」という会社だ。

https://nidhi.tourism.gov.in/home/classified?stateCode=&categoryCode=02&pageno=11

https://itir.co.in/

  • 政府公認の会社である点
  • 手荷物検査場の人がオートリキシャの相場感を教えてくれた。かつ、流しのオートリキシャを停めていた

ということから少しは信用していいのかなと思った。

ホテル4泊分、3AC列車代、コルカタからデリーへの飛行機代で50000Rs と言われた。(約90000円)

ディワリという祭りシーズンで列車を取るのが難しくなるという嘘かわからない交渉術を食らって契約することにした。前日に「ixigo」という列車チケット予約アプリの使い方が分からなすぎてチケット取得するのがめんどくさくなったこと。学生と違って社会人で5年も働いていたので金に困ってなかったというのが契約理由だ。

原価は、25000 - 30000Rs と予想している。ツアーを使ったことはないが固定費等を考えると手数料としては妥当な価格なのかなと考えている。

ちなみに、手荷物検査の人は駅員ではないので外国人がチケット購入する方法を知らなかったと思われる。手荷物検査を通過した後に駅員にチケット購入場所を聞くのがベストだろう。

列車の乗り方やチケット取得方法は把握できたので、次回のインド旅では自分で手配したい。

契約終了後に駅への送迎 + 1日観光セットで1000Rsのタクシードライバーを勧められた。アガラ行き駅が宿泊先から遠い、かつ、早朝だったのでお願いすることにした。

観光名所で必要な駐車料金も1000Rsに含まれているのでお得だった。

インドではスズキ車が人気でシェア50%超えているという話を車中でしていた。

アフターメンテナンスサービスが充実しているのが、スズキ車のいい点らしい。

また、大気汚染対策としてガソリンではなく天然ガスに移りつつあるという知見を得た。

インド車の給油場所はサイドではなくフロントについてるようだ。

インド株に興味があったので、帰国してスズキのIR情報を調べようと思った。

タクシドライバーから「Today is lastday」というボッタクリを撃退する魔法の言葉を教えてもらった。最終日はお金を持っていないので早めに諦めてくれるらしい。効果はもちろんなかった。

観光地で隣の人と写真撮ったりしながら一日が終わった。知らない人と写真撮れるのも旅の醍醐味だ。

アグラ

朝6:00。日本では絶対に無理だがなんとか起床することができた。

7:40の便に乗るためドライバーと合流して駅に向かう。

列車の乗り方を教えてもらった。掲示板に列車番号が表示される。どの車両(coach)に乗るかは列車が来ないと分からない。車両に記載されている番号を確認しつつ乗り込む必要がある。列車短くても10分は停車するので焦ることはない。自分が乗る車両が間違っていないか周りのインド人に最終確認をした。

アグラまでは2時間。遅い便だと6時間。意味がわからないと思うがこれがインドだ。

列車の中では、新聞と朝食が配られた。自分でチャイを作ったのだが砂糖の量が半端ない。旨いので体に悪いことに気づかないふりをして飲んでいこうと決めた。インド人の平均寿命は短く体の中はボロボロだと旅の後半で仲良くなったインド人が教えてくれた。油だけではなくチャイも原因なのだろう。

そうこうしているうちにアグラに着いた。アグラは世界遺産として有名なタージマハルがある街だ。いつものようにオートリキシャと交渉して100Rsでホテルへ向かった。

3日目にして交渉感覚が戻ってきた。言い値の1/5 を目標値にして、初回の値段は 1/6 以下でアンカリングする。だいたい50Rs、100Rs 単位で交渉していく。明らかに法外な値段言ってくるやつとは交渉しないのも大事。

例えば、相手が600Rs 欲しいと言ってきたとする。目標値は120 - 150Rsとなる。アンカリングの値は80-100Rs になる。

実際の会話はこんな感じ

「I want to go 〇〇. How much?」

「600Rs」

「It’s too expensive. 80Rs」

「500Rs」

「80Rs」

「400Rs」

どこかに行くフリをする。(基本、1回だが2回のこともある)

「OK. 200Rs」

「100Rs」

「150Rs」

握手をしながら

「Hey, brother. Thank you」

150Rs から下げることも可能だが、めんどくさいのでやらないことが多い。金に困っている終盤はギリギリまで頑張ることもある。

OlaやUberなどで事前に目的地までの価格を調べておくよい。

OlaやUberはサービス運営費等を考慮すると流しのタクシーやオートリキシャより高く設定されているはずなので、調査価格より低い目標値にすることが多い。

その他のテクニックとして、「He said 200Rs」など価格を大声で叫んで他のオートリキシャを交渉に参戦させるなどがある。暇な時に一回だけやりました。ネパールやバングラデシュなど近隣諸国の旅人だと名乗る大技もあります。

営業マンが普段やっていそうなテクニックなので、知り合いの営業マンに交渉術の書籍などを教えてもらうとよい。理論があるので知っておくと面白い。

ちなみに僕が読んだことある本はこちら

「世界のグローバルリーダーが使いこなす交渉の秘訣」

めんどくさいと思うので暇な時以外はOlaやUberを使うとよい。

交渉も旅の醍醐味。アトラクションと捉えている人だけやればいい。

2週間の旅で5000円ぐらいしか変わらないと思うので、無駄な時間を使わず旅行でリフレッシュし仕事を頑張り給与アップした方がいい。

ホテルでゆっくりした後にタージマハルに向かった。

タージマハルの圧倒感は写真で表現できないことを知った。タージマハルを摘む有名なポーズがどのように撮影されるのか鑑賞。近くのインド人に写真をお願いした。最後まで写真が上手いインド人に会うことはなかった。つまり、そういうことです。写真はヨーロッパの観光客に頼むべきとわかった。

タージマハルは正面が有名だがタージマハルから見る門も美しい。あえて、写真は貼らない。自分の目で確かめてほしい。

個人的に好きな場所は土足厳禁のタージマハルを見学した後の出口だ。タージマハルが太陽を遮り涼しい。座って涼んでいる観光客と世界遺産というギャップが面白いと思った。

タージマハル以外見たいものがなかったので、ホテルでゆっくりした。

翌朝、迷路のように入り組んだ街を散歩した。クリケットにしている少年達に一打席どうだと招かれた。ファールに終わった。

バラナシに向かう寝台列車を待っているとコンピューターサイエンスを学んでる学生に話しかけられた。外国人だけでなくインド人同士でも仲良く喋っている場面をよく目にした。

彼は政府の仕事に就きたいようだ。インドでは政府の仕事が人気だと教えてもらった。別のインド人から聞いた話によると政府の仕事には就けるかはカースト制度の影響があるらしい。

インドで人気マッチングアプリはTinder。SnapchatはInstagramと違ってローカルに動画保存する必要ないのがいいらしい。 フィリピンで会った若い日本人もコミュニケーションを音声や動画で気軽に送っていたので、20代のコミュニケーションスタイルが変化しているのかもしれない。28歳おじさんの感想です。

そんな話をしていると寝台列車が到着した。

3ACとは3段ベットエアコン付きということだ。就寝時間までは上2段が折り畳みまれており一番下の席を共有して利用する。座っているとインド人が話しかけてくるので、雑談していると就寝時間になった。AC付きの車両はお金に余裕のある人が利用するが、念の為盗難対策としてリュックは自分のベッドに置いて就寝した。

バラナシ

起床するとバラナシまで後一駅だった。汚い便所で用を足す。旅に慣れてくるとトイレペーパより手でお尻を拭いた方が早いし清潔になるなと思い始める。慣れって怖いですね。

今回の宿もサンタナにした。高校を卒業した後に、自分でお金を稼いで世界一周してるというパワフルな女性に出会った。住み込みで働いている彼女にオススメのレストラン等を教えてもらった。

バラナシはヒンドゥー教の聖地。この土地で火葬されることがインド人の夢だと火葬場で出会ったインド人観光客に教えてもらった。火葬場は写真撮影禁止だが、遺族の方に誠意を示してお布施をすると写真を撮ることができるという話を彼にしてもらった。やってないので真実かは不明だ。

遺体をガンジス川で清めた後に、3,4時間ほど外で火葬する。生と死が隣接していると、簡単に結論付けてるのは外から見ている僕たちの感覚に過ぎないのかもしれない。

感動した。人生観が変わった。ということはないが、気づいたら20分滞在していた。

声を掛けられた人にお布施をあげる必要はない。

紹介してもらったラッシー屋を訪れた。デザートのようなラッシーだった。

「special lassi」など明らかに値段が異なるラッシーはマリファナ入りの可能性があるので注意が必要だ。人気店でもメニューにあるので店員に確認するといいだろう。

宿に戻り他の宿泊客と談笑していた。金をなく学校にも通えない、道路をただ見ることだけが娯楽の少年にお金をあげると食べ物ではなくタバコや薬物を購入するという話が印象的だった。悪いことだが咎めることはできない。少年にとってそれは生きる意味を見出すための行為。何もできない自分が悔しい何かできるようになりたい、力をつけなければという話だった。自分にはない感受性の豊かと人生の目標を持っている彼女を強く尊敬した。

バラナシでは、ゆったりした時間を過ごした。笑うヨガで陽気な気分のまま朝食を食べた後に、ハンモックで仮眠。起きたらラッシーを食べて読書。そんな毎日だった。

ガンジス川に入った。旅の道中でいつの間にかできた傷からの感染が怖かったが決行。

川が綺麗な朝の時間に沐浴。ヌルヌルとした川底で滑らないように進む。

これだけ達成感を味わえる川はこの世にないだろう。

病気が怖かったが体調は絶好調だった。この旅で下痢にもならなかったのでラッキーだった。

一緒に観光していた日本人とバラナシは汚いという話題が上がった。感覚がバグって全く共感することができなかった。初日のしょんべん事件より汚い話題なんてないだろうよ。

ダージリン

バラナシからシリグリ16時間寝台列車を乗車した後に、乗合ジープ3時間でダージリンに到着。

ダージリンの標高は2000mだ。標高が上がるにつれて景色が変わっていく。天空の街に向かってような神秘的な気持ちになった。

ダージリンに到着して気づいたのが道にウンコがないということだ。標高が高いので牛がいないのが原因だろう。当たり前のようにゴミはあるのだが、清潔感があった。定位置で用を足す偉大さを知った。人間はトイレで用を足せてえらい!

次に訪れるコルカタはイギリス植民地時代の首都だ。ダージリンはコルカタから近いため避暑地だったらしく西洋風の建物が多くインド感がなかった。

Happy Valleyという茶畑を訪れた。お茶の木は思ったより低かった。工場跡見学で茶を育てるために十分な降水量が必要なことを知った。ヒマラヤ山脈の恩恵でダージリンは茶を育てる絶好の場所なのだろう。出国前に家庭教師のトライYoutubeで復習した高校地理を知識を体で覚えることができた。First flushは水だけ、Second flushはミルクが必要らしい。

この夜は面白かった。10月終盤はヒンドゥー教の祭りディワリが開催されている。

爆竹と花火を深夜三時まで撃ち続けることしか観測できていないため実際何をやってるのか未だわかっていない。右耳は爆竹と花火。左耳は別室から歌声。カオスな状況でなんとか眠りついた。

タイガーヒルという朝日を見るために早朝3時半に起床。チャイを飲みながら朝日を待つ。人生でこんな優雅な時間をあと何回経験できるのだろうか。山脈から朝日が顔を出した瞬間、湧き上がる歓声。体の震えが止まった。暖かい。スマホに収めた写真の10倍朝日は大きく明るかった。

ダージリンを歩き回り疲れたので紅茶を飲んだ。

ホテルの帰り道にGoogle Mapは必要ない。 ホテルまでの帰り道を覚えるのは、旅の好きな瞬間だ。非日常が日常に変わっていく瞬間。

旅行が楽しいのは、帰るべき日常があるという制約によって成り立っていると思っている。この非日常も誰かの日常であるわけで。なんというか、誰かの非日常になれるように僕の日常を誇って懸命に生きようと思った。また、日本でも非日常を体験すべく自分が普段合わない人達ともっと会いたいなと思った。これを見た読者の諸君飲み会の連絡待ってます。

お土産を買う人間でいなさい

お土産を買いたいと思える交友関係を築きなさい

お土産を貰える人間になりなさい

という教えに従ってお土産をたくさん買った。お土産をあげたいと頭に思い浮かべる人がいる人生に満足感を覚えた。

帰路はバスを利用した。バスの座席番号は席の上にマジックで書かれていた。席を変わってほしいと言われたので承諾した。この後、隣のおばちゃんと3時間話し続けることになる。

どこから来たのか。どこにいくのか。何歳なのか。何をやっているのか。一通りの話すと話題がなくなった。経緯は忘れたがモディ首相の政策の話題になった。ヒンドゥー教に特化した政策への是非や外交問題。インド人の宗教や国際感覚にまで話は弾んだ。前提知識と英語力がなく2割も理解することができなかったため、笑顔で相槌しリサイタルを盛り上げた。途中で狸寝入りを試みたが実力不足で会話を終わらすことはできず、腰を据えて会話に望んだ。英語の勉強が必要だと強く感じた一日になった。

南インドではヒンディー語を教えていないため北と南の人が会話する時は英語であること。南インドはキリスト教信者が多いため牛肉を食べることが可能であること。彼女から多くのことを学びました。

コルカタ

インドでやりたいことを終えたのでコルカタではゆっくり過ごす予定だった。

博物館に向かっていると同じ博物館に向かっていたインド人に話しかけられた。彼はムンバイ住んでいて最近婚約したらしい。パートナーは医者で忙しく休暇が取れないので一人で旅をしているらしい。2日一緒に観光して仲良くなり結婚式に呼んでくれることになった。家族以外の結婚式に出たことないので初の結婚式を海外で経験する人生になりそうだ。インドの結婚式は1週間ぐらい続くらしい。土日に有給2日を合わせてお祝いしにいこう。

夕食まで時間あるので、ソナガチという風俗街に行くかい?と誘われたが断っておいた。婚約中だろ!やめておきなと嗜めた。

友達と会う予定があるらしいので付いていくことにした。

中古自動車の貿易業をやっているビジネスマンだった。日本語も堪能だ。最近、タイで飲食店を出店するらしい。

インドの銀行利子は6%を超えること。チャイが1日10000杯売れる場所があること。インドには、複数の宗教行事があり、行事毎に出店すると固定費を抑えて売上を上げることができること。道路が混んでおり、道が整備されていないインドでは小型バイクの需要が高いこと。普通の人から聞けない面白い話をたくさん聞くことができた。

ビジネスの話以外にもイスラム教の家族観なども話した。

なんやかんやあって彼のビジネスに投資することになった。万が一騙されても、インドに行って詐欺にあったという最強飲み会ネタを一生擦り続けて回収できると思った。失敗して人生積むぐらいの投資額でなかったのも理由の一つだ。今後の流れに期待だ。税金周りに自信がないので詐欺でなかったら税理士に相談したい。

コルカタからデリーは飛行機を利用した。空港に猫がいて笑った。

デリー

帰国するためにデリーに戻った。

特にやることもなかったので、スタバで読書して過ごした後に帰国した。

最後

インドに行っても人生観は変わらなかったが、面白い国なので行ってほしい。

ニューデリーから東を観光したので、次回のインドではラダックやジャイサルメールを周りたいと思う。一緒に旅したいという人いたら声かけてください。

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